分断を超えて
世界を席巻するウイルスの影響で、ライブ配信やWEB会議、WEB飲み会がウイルスにも負けない速さで広がった。俺も使ってみて驚いたが、実際に同じ空間に居るのと遜色ないくらいの臨場感がある。おまけに世界は5Gの登場を控えている。
ウイルスが去った後の世界で、果たして俺たちはもとに戻れるんだろうか。ウイルスが去ったとして。でも俺たちは距離と時間の概念が覆った世界を知ってる。これからその世界もどんどん立体的になっていく。それでも俺たちは“逢いたい”と思えるものだろうか。
そんな想像をしてしまった。
ウイルスが去っても、別のものが現れる。ひょっとしたら、それは今味方だと思ってるWEBかもしれない。何かによって分断され続けたとしたら、人類は永く生きられないのかもしれない。
昨夜、2回目のBARじげんZoom飲み会をやりました。おはこんばんちわ。ZIGENでございます。
Zoom、タイムラグがあると思いません? もちろんゼロではありませんが、一緒に演奏出来るレベルでストレスは感じませんでした。実際に同じ空間で遊んでるくらい臨場感があります。
一歩外に出るにも、それがどういう意味を持つのか? もし、自分が感染者だったとしたら、これから会う相手はそれでも“逢いたい”と思ってくれる人なのか?逆だったら、自分は相手に対して”それでも逢いたい“と思えるのか?この外出は必要なのか?最悪のシナリオが待ってた時、自分は、自分と一緒に生きてくれた人たちは後悔しないだろうか?
踏み絵の連続で息詰まってませんか?
機密性の高い会議とかするわけでなければ、セキュリティー面も大きな問題は無さそうですよ。
久しぶりに仲間内誘って、WEB上でぱーっと飲み会してみてはどうでしょうか?